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キリスト教Q&A

新約聖書

宇野 緑

 昨今、『ダヴィンチ・コード』や『ユダの福音書』が話題になっているものの、日常生活で聖書に馴染みの薄い日本において、混乱なさっている方も少なくないのではないかと思います。

このような状況に少しでもお役に立てればと思い、前回テーマの「旧約聖書」に引き続き、新約聖書について学んでみましょう。

 Q1 新約聖書にはどのようなことが書かれているのですか。

A まず、新約の「約」の漢字を思い違いされている方はいらっしゃいませんか。「訳」ではありませんよ。「旧約」とは旧い契約The Old Testament、「新約」は新しい契約The New Testamentを指し、神と人間との間に交わされたものです。旧約において、救いが与えられることが約束され、新約では、救い主イエスによって全ての人々が救われる、という旧約の成就が示されているのです。

新約聖書の内容は、イエス・キリストの生涯と教え(福音書)、初代教会の歴史(使徒言行録)、初代教会の指導者たちによって書かれた手紙、ヨハネの黙示録の全二十七巻で成り立っています。イエスの地上での生涯は三十三、四年といわれており、実際に伝道を行ったのは三年ほどです。その短期間の生涯がこうして聖書の中で著されていることに大きな恵みを感じます。

福音書はマタイ・マルコ・ルカ・ヨハネの四種類あり、著者によって表現の仕方に特徴があります。現代の新聞記事においても同じ事件が捉え方によって違うように、イエスを多面的に捉え、理解をより深めるためにも比較しながらどうぞ読んでみてください。ちなみに福音とは英語でGood Newsと言い、イエスによってもたらされた救いこそが「良い知らせ」であるというわけです。

Q 新約聖書を開いて、最初のページでカタカナの羅列に躓いてしまいました。あのイエス・キリストの系図はどのような意味があるのでしょうか。

A これはアブラハムからイエス・キリストまで二千年の歴史を語る系図なのです。お時間があれば、旧約聖書の中からそれぞれの人物を探し出し、その人生を追ってみてください(中には聖書の中にも記録されていない人の名前もあります)。決して、常に正しい人々ばかりではありません。この系図が指し示しているのは、そういったドロドロとした人生を歩んでいる人間、罪深い人間、愚かな人間らが、神の奇跡や憐れみなどを受けながら、イエスに向かって進んでいくということです。

この系図を新約聖書の最初に記したのには、約束通りにダビデの子孫から救い主が現れたということ、イスラエルの人々が待望していた救い主が「イエス」であるということを指し示し、新約聖書全体の伝えたかったことを総括するためではないかと思います。

ルカによる福音書三章ではマタイとは反対でイエスからアブラハムに遡り、神に至る形で系図を表しています。ここでは、イエスは神の子である、との宣言と捉えてよいでしょう。

Q3 「目から鱗が落ちる」、「豚に真珠」という言葉の語源は新約聖書にあると聞いたのですが、本当ですか。

A はい、本当です。「目から鱗が落ちる」と言うのは、使徒言行録九章の出来事です。キリスト教徒を迫害していたサウロが、突然天からの光に照らされ、目が見えなくなってしまいます。その後、主の声に従い、サウロの家にやってきたイエスの弟子によって、元どおり見えるようになります。その時に、サウロの目からうろこのようなものが落ちたとあります。もともとは誤りを悟り、迷いから覚めるという意味で使われていたそうです。このサウロは後のパウロでありますが、この出来事を境に生き方を一八〇度回転させ、イエスが救い主であることを力強く語っていくことになります。

 「豚に真珠」はマタイによる福音書七章六節のイエスの言葉の一文にあります。価値のわからない者に高価なものを与えても何の意味もないということですが、神の愛も、赦しも、価値を理解しない者には、文字通り「豚に真珠」というわけです。

私たちも聖書のメッセージを通して、「目から鱗を落と」し、そのメッセージが「豚に真珠」にならないようにしたいですね。

〈恵泉女学園大学キリスト教教育主事〉
キリスト教学校教育 2007年5月号4面


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