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一般社団法人キリスト教学校教育同盟 Association of Christian Schools in Japan Since 1910

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キリスト教学校教育バックナンバー

キリスト教Q&A 賛美

堂本 陽子

 キリスト教は、とても音楽にあふれた宗教です。礼拝の中では、讃美歌やさまざまな楽器による賛美があります。キリスト教学校を卒業してからも、讃美歌はよく心に残っていると言われたりします。これほどに音楽と深いつながりをもつキリスト教において、「賛美」とはどのようなものなのか、ご一緒に考えてみましょう。

Q1「さんびか」と書く時、よく「讃美歌」なのか「賛美歌」なのか迷ってしまいます。どちらが正しいのでしょうか。

 Aこれは生徒からよく聞かれる質問の一つではないでしょうか。讃美歌は、もともと聖書の言葉を歌うことから始まったものですから、聖書の御言葉を大切に考える人たちにとっては、必ずごんべんをつけた「讃美歌」と書くことにこだわりを持っています。一方、「讃」の文字が常用漢字からはずれたことや、賛美の種類が聖書の御言葉だけではなく、さまざまな音楽を通して信仰や励ましや共に生きることを表現していることから、ごんべんをつけない「賛美歌」と書く人もいます。どちらが正しいということはなく、専門家の間でも色々な見解があるのが現状のようです。参考までに、日本基督教団讃美歌委員会では、歌集としての「さんびか」を示す場合は、ごんべんつきの「讃美歌」としているようですね。

 ここでは、広義の意味での「さんび」の場合を「賛美」とし、狭義の意味で歌う「さんびか」の場合を「讃美歌」と表記しました。 

Q2讃美歌はたくさんありますが、そもそもなぜキリスト教は歌を歌うのでしょうか。また、「賛美」ってどういう意味があるのでしょうか。

 A「賛美」とは「ほめたたえる」という意味があります。聖書には百六十九回も賛美と言う言葉が出てくるほど、神を礼拝する人間の営みに密接な関わりがあります。

 学校礼拝を守る私たちにとって、「賛美」とはおもに「讃美歌を歌うこと」として受け止めます。「歌う」と言う語を広辞苑で調べますと、「内側にあるものの発露としてあらわれたもの」とあります。

 キリスト教では、神が私たちの命を与え守り生かしてくださる計り知れない恵み、愛、救いを体験した人びとが、心にわきあがる神への感謝や喜びや感動や信頼を詩や歌にして表現してきました。

 聖書の中には、神への賛美がたくさん記されています。例えば、ダビデは神の護りに対する確信と信頼(詩編23編)を、イエスの受胎を告げられたマリアは計り知れない神の恵みへの畏れと感謝と喜びを詩に表し(ルカ1・46~55)、獄中のパウロはシラスと共に苦難の中から讃美歌を歌い祈っています(使徒16・25)。また、イエスご自身も十字架直前のゲツセマネの園へ向かう前に弟子たちと賛美の歌を歌っています(マルコ14・26)。

 このように、賛美とは、神と向き合い神の大きな恵みや愛を受けて生きる者が、神に感謝や喜びを表し、苦難の中にあっても神への信頼を歌う、心の奥深くから湧き出る発露であり「祈り」なのです。だからこそ、讃美歌は、歌詞を味わいつつ心を込めて歌うほどに、聞く人に感動を与えていくものとなるのでしょう。

Q3讃美歌はいつ頃からどのように始まって歌われるようになったのでしょうか?

 A旧約聖書時代の讃美歌にあたるものが「詩編」であることは有名ですね。詩編を開きますと、しばしば最初の節に、その詩編を賛美するためのいろいろな音楽的な説明文が記されています。これらの曲のメロディがどのようなものだったのかは不明ですが、ヘブライ語の詩を朗誦する形で歌われていたと考えられています。詩編の言葉を交互で歌い交す交唱の形や、リフレインを多用した応答唱、また、慣れ親しんだ民謡を替え歌にしたり、楽器や手拍子を用いたり、ダンスをしながら賛美していたようです。心からの神への思いは、声だけではなくありとあらゆるものすべてを用いて、豊かな讃美歌となり、「祈りの歌」となって神さまに届けられていたのでしょう。宗教改革者のカルヴァンもまた、詩編を讃美歌にした「詩編歌」というものを作っています。ちなみに、讃美歌の楽譜が残っているのは、八世紀以降のようですよ。

Q4讃美歌が今のような会衆全体で歌う形になったのは、どうしてですか?

 A音楽には、言葉を超えて人びとの心を一つにつなげていく力があります。

 キリスト教は、共に礼拝をささげ共に讃美歌を歌うことで、神への思いを一つにしてきました。神の元に集い礼拝のなかで賛美をささげる体験を通して、自分たちが神の元に一つにつながれた「信仰共同体」であることを確認し、その信仰を受け継いできたのです。

 ところで、中世のキリスト教では、聖職者や聖歌隊がおもに歌い、それに応答する形として会衆が歌っていたようです。現在のように、会衆が全員で讃美歌を歌ったり、比較的自由に讃美歌が作られるようになったのは、十六世紀の宗教改革以降のことです。宗教改革者の一人マルティン・ルターは、信仰者はみな聖書と祈りを通して神と直接に交わることができるという、神の前での平等「万人(全信徒)祭司」という考えを打ち出しました。ですから、賛美も祭司という仲介者を通さず直接神にささげられるのだという考え方から、礼拝に集う会衆全員で賛美をするようになったのです。

〈桜美林中学校・高等学校チャプレン〉

キリスト教学校教育 2007年7月号8面