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礼拝説教
私たちが信じるもの

サムエル上17:47、マタイ20:28
小栗  献

 

 多くのキリスト教学校は、この世界に仕えるという志から始まったことでしょう。世に仕えるとは、この世の不当な権力や国家主義に追従することではないはずです。逆に、私たちが信じるものをしっかり保ち、私たちが信じていることを明確に語り続けることこそが、教会とキリスト教教育機関が、本当の意味でこの世界に仕えるものとなることだと私は信じています。その時には当然、キリスト教学校が何を信じ、どこに立とうとしているかということが問われてくることでしょう。
 
 今回の主題は「教育基本法の前提にあるもの」ということですけれども、それに対抗し得るのは「キリスト教学校の前提にあるもの」ではないでしょうか。それぞれの学校によって独自性があると思いますが、その一番深いところにある源泉はやはり「神の言葉」であるはずです。
 
 「世が過ぎ去っても、神の言葉は永遠に残る」と聖書は告げます。この 世界にただ一つ、どんな時代にも微動だにしないものがあると私たちは信じています。私たちがそこに錨をおろし、そこにしっかりと船を繋いでいるならば、どんな大波にも簡単に流されることはないはずです。これはひとりキリスト教学校だけのことではなく、教会もキリスト者も、皆が一つとなって共に戦わなければならない戦いです。

 今回、キリスト教学校教育同盟が正面から「教育基本法」を取り上げ、それについて学習と議論がなされたことはたいへん意義深いことであったと思います。そして私はある希望も得ることができました。それはこうして集まることができるということからくる希望です。
 
 深い孤独と無力感と不安の中にある私たちが、とにかく集まるということは大きな力となります。集まることは突破口を開く力となります。そして私たちが助けを求めて集まるその場所に、あの方が、「武力を用いずに武力をくつがえす」お方が立っておられるということを、キリスト教学校は信じているのです。
 
 キリスト教学校教育同盟が結成されたのも、やはり、政治的な圧力によってキリスト教学校の存続が危ぶまれたときであると聞きました。まさにこの時代にこそ、このキリスト教学校教育同盟がその意味をもつときが来ていると言えるのではないでしょうか?

 私たちは個々においては本当に弱いものですけれども、共に考え、共に戦う仲間があるということは素晴らしいことです。私たちはそれぞれの学校に戻ってまいりますが、この連帯を神様が祝福し、守り、力づけてくださるように祈ります。そこから力を得つつ、私たちがそれぞれに、私たちがあずかっている子どもたち、学生たちに、私たちが信じることを語り続けることを通してこの世界に仕え続けるものでありたいと思います。

〈日本基督教団神戸聖愛教会牧師〉
キリスト教学校教育 2007年9月号1面


キリスト教学校教育同盟