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キリスト教入門特別講義
キリスト教音楽の歴史
―賛美歌の歴史をふりかえる―

秋岡  陽

 

 新しくキリスト教学校の職員になった方のなかには、日々の学園生活で歌をうたう機会が多いことに驚いている人がいるかもしれません。今回の夏期学校でも、朝に夕べに賛美歌をうたっています。今回の「キリスト教入門」講座では、キリスト教と音楽との深いつながりについて、今年刊行十年を迎えた『讃美歌21』におさめられたさまざまな時代・地域の賛美歌を手がかりに考えてみたいと思います。

 昨日(二十八日)の礼拝のなかで、キリスト教の神は私たちの目には見えない、というお話がありました。たしかにイエスやマリアの像を見ることはあっても、神の像が刻まれたのを見ることはありません。では私たちはどうやって神様のことを知るのでしょう? 神の民である人間は、聖書のみ言を通して神と出会います。そして、神の語りかけを聴き、神の計画を知った人間は、祈りと賛美でそれに応答してきたのです。公同の場でなされる応答は、キリスト教の礼拝をなりたたせる必須の要素でした。その意味で、キリスト教はいつも賛美とともにあったといえるでしょう。人々の祈りの心を集めて歌う賛美歌は、つねに時代時代の信仰を表してきました。

 「使徒言行録」に記された初期のキリスト教徒たちの生活の様子をみると、彼らがいつも共に集い賛美していたことがわかります。「信者たちは皆一つになって……毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、神を賛美していたので、民衆全体から好意を寄せられた」(「使徒言行録」2・4447)。初期の教会において会衆賛美は信仰生活の基本でした。

 パウロもまた「霊に満たされ、詩編と賛歌と霊的な歌によって語り合い、主に向かって心からほめ歌」うことを、繰り返し奨励しました(コロサイ3・16、エフェソ5・19)。こうした賛美は、キリスト教が伝えられたそれぞれの土地で、それぞれの音楽伝統と結びつきながら繰り広げられてゆきます。なお、ここで注意が必要なのは、キリスト教はけっして西洋にだけ伝わったのではない、という点です。たとえばアフリカにたてられた初代教会では、西洋とは違うキリスト教音楽の伝統が生まれました。

 キリスト教はまず環地中海世界に広く伝えられ、各地に地方教会が形成されました。今回はこのうちローマ教会に端を発する伝統を中心にとりあげます。このローマ教会が、十六世紀の宗教改革で生れたプロテスタント教会とともに、いわゆる西洋音楽を今日ある形に育てあげることになるからです。

 三一三年のローマ帝国のキリスト教公認は、賛美のありかたを大きく変えました。それまで公然と歌えなかった賛美の歌は、いま、高らかに歌えるようになりました。しかし同時に、教会が帝国の組織に組みこまれ、神の民の共同のわざとしての礼拝から専従の聖職者のリードする典礼・礼拝へと変質してしまいます。初期キリスト教徒の特徴だった賛美における会衆性ははやくも失われます。このように会衆が賛美に参加しない傾向は次の中世の時代にも続くことになりました。

 中世の教会建築では、聖堂内にスクリーンとよばれる壁が作られ、内陣側と身廊側が分けられました。一般の会衆が入れたのはこのスクリーンの身廊側。身廊に置かれた彼らには、スクリーンの向こう側の内陣で行われる典礼の主要部分を見ることは、空間的にもほとんど不可能でした。また礼拝で使われるラテン語は、当時の一般の人々にとっては古い異国の言葉でした。一般会衆は賛美の現場から遠ざけられることになります。

 音楽史上のルネサンス時代になり、ア・カペラのポリフォニーによる合唱曲が流行すると、賛美の行為はさらにプロの職能人たちのわざになります。次々に建てられるルネサンス様式の壮麗な教会建築の中では、特別に訓練されたフランドル出身の音楽家がプロ集団としての聖歌隊を組織し、高度な歌唱技法を必要とする合唱曲を演奏する時代がやってきます。

 そうした時期、一五一七年にルターの宗教改革がおこります。ルターは、一人一人が自分の足で神の前にたち、みずから聖書のみ言を受け止め、自分の言葉で祈り賛美することを重視しました。それを可能とするために、聖書のドイツ語(母語)訳を行う一方、「会衆のだれもが自分の言葉で賛美できる歌」をつくり始めます。こうして誕生したのが「コラール」と呼ばれるドイツ語による会衆賛美の歌です。歌詞はそれまでの教会聖歌のような、一部のエリートにしか理解できないラテン語ではなく、教会に集められただれもが理解できる母語によるものになりました。そして新しい霊の力に満たされたコラールは、人々に歌い継がれ、やがて教会に連なる人々の連帯のかなめになります。なお、ルターの約二百年後に、有名なバッハが登場してきますが、彼の一連の教会音楽作品は、ルター派の豊かな教会音楽とコラールの伝統があってはじめて誕生しえたのです。

 もう一人の宗教改革者カルヴァンのもとでも、母語による会衆賛美の歌が用意されました。こちらは、聖書の詩編をテクストとし、それを母語による韻文訳で歌うもので、「詩編歌」と呼ばれます。この詩編歌の伝統は、オランダやスコットランド、さらには北アメリカにもひろまり、その後の賛美の歴史で主要な位置をしめるレパートリーを形成します。日本の従来の賛美歌集では必ずしも重要な位置を与えられてこなかった詩編歌ですが、じつは賛美の歴史の中では、十六世紀から十八世紀にかけてまさに主流の賛美歌でした。聖書のみ言を大切にしながら歌ってゆく詩編歌は、二十世紀に世界各国の賛美歌集で再評価され、『讃美歌21』でもその再認識が行われています。

 十八世紀以降は、イギリスを中心に、創作賛美歌の動きが活発化した時代です。ウォッツ、ウェスレーにはじまる作者たちが、今日に歌い継がれる創作賛美歌をつぎつぎ生みだしました。北アメリカでも、当初は詩編歌による賛美が中心でしたが、十八世紀以降、創作賛美歌の豊かなレパートリーが生み出されます。さらに、日本のプロテスタント教会の賛美歌も、こうして生まれた英語賛美歌に多くを負う形で賛美のいとなみをスタートさせました。余談ですが、ウェスレーの賛美歌の詩を検討するたびに英語がうらやましい!と思います。熱く歌いあげるウェスレーの詩を日本語に訳そうとしても、そのメッセージのすべてを歌いきることは困難です。日本語は、英語と比べると、同じメッセージを伝えるためにたくさんの音符を必要とする言葉なのです。

 ここでアメリカ独自の宗教歌の伝統についても言及しておきましょう。十八世紀の独立戦争、十九世紀の南北戦争などを契機に、イギリスの植民地ではない独自の文化圏としてのアメリカの歌がうたわれるようになります。ホワイト・スピリチュアル、アフロ・アメリカン・スピリチュアルなどの宗教歌です。さらにキャンプ・ミーティング、YMCA活動などでのリヴァイヴァル運動と関連して、ゴスペル(福音唱歌)の伝統も生まれました。

 二十世紀になると、カトリック教会で大々的な典礼変革が行われます。こうした動向はプロテスタント教会にも影響を与え、リタージカルな側面を重視した賛美歌集の改訂が世界各地ですすめられました。礼拝の全体構成への配慮、詩編の歌や頌歌の伝統の重視、幅広い時代・地域の賛美歌の積極的採用、共同体の歌としての公同性の重視などを特徴とする新しい賛美歌集が続々誕生します。『讃美歌21』もそうして誕生した賛美歌集のひとつです。また日本では一九八七年に新共同訳聖書が刊行されましたので、聖書と賛美歌の訳語の整合をはかることも求められました。

 聖書に記された言葉は変わらずとも、それに応答する人々の祈りと賛美は、時代、社会状況、文化背景によってつねに変化します。言葉が変わり、音楽的感性が変わり、また神学的理解が変わるなかで、その時代時代の音楽が今後も生まれることになります。たとえば二十世紀にはヒム・エクスプロージョンとよばれる現象がおこり、新しい時代の問題意識にたった新作賛美歌がたくさん作られました。『讃美歌21』にもそうして誕生した現代賛美歌がおさめられています。

 神様からいただくみ言と恵みに対して、神の民である私たちは、祈りと賛美をもって応答してきました。その賛美応答の姿は、この二千年余の間に、さまざまに変化しました。そのさまざまな時代・地域の祈りと賛美が凝縮されて一冊におさめられた歌集、それがわたしたちの賛美歌集です。


フェリス女学院大学音楽学部教授〉
キリスト教学校教育 2007年9月号3面


キリスト教学校教育同盟