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一般社団法人キリスト教学校教育同盟 一般社団法人キリスト教学校教育同盟

新たな時代におけるキリスト教学校の使命と連帯-いのちの輝きと平和を求めて-

一般社団法人キリスト教学校教育同盟 Association of Christian Schools in Japan Since 1910

Assocition of Christian School in Japna Since 1910

キリスト教学校教育バックナンバー

通算600号に寄せて
30年間続けた「編集後記」

伊達 宗浩

 私が広報委員を委嘱されて初めて教育同盟を訪れたのは銀座教文館に本部事務局が在った頃でした。総主事が末包一夫先生で主事が神崎壽枝さんでした。私は立教大学の広報課長を務めていた頃でしたが、月に一回は同盟の広報委員会が行われたので事務局に顔を出して新聞発行のお手伝いをしました。新聞は神崎さんが編集内容を前もって殆ど準備されていたので委員会はそれを追認し、後は四方山話で終わったものでした。末包先生からは全国のキリスト教学校の様子を伺い、自分の学校の在り方を考えたものでした。

 現在の場所に移ってから、総主事の清水二郎先生のご人格にキリスト者として大変影響を受けましたが、新聞に掲載された不適切な記事の件で、先生が大変ご苦労されていたことが記憶に残っています。

 私が神崎さんから新聞の「編集後記」を書くよう依頼されたのは一九七〇(昭和四十五)年十二月号でした。以来一九九九(平成十一)年四月号まで三十年近く書き続けたのですが、この間は大学紛争など大学も多事多難の時代でしたから、毎月の編集締め切り間際に電話での口頭送稿が殆どでした。発行された新聞の「編集後記」を読んで身の縮む思いを何度かしましたが、いつも神崎さんに励まされてはとうとう編集委員を辞めるまで書き続けることになりました。

 私は一九八三(昭和五十八)年立教大学は定年になりましたが、その後一九九九年まで十数年間、特別委員として同盟の広報活動に参加させていただきました。この間、同盟の総会には全国各地のキリスト教学校を訪れ、また全国広報委員会では各地の学校でキリスト教教育に携わっている先生方にお会いできたことは私自身の大きな栄養になったと感謝しています。

〈元立教大学総務部長、元同盟広報委員〉

キリスト教学校教育 2007年1月号2面