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一般社団法人キリスト教学校教育同盟 一般社団法人キリスト教学校教育同盟

希望と喜びに生きる-新たな転換期に立つキリスト教学校-

一般社団法人キリスト教学校教育同盟 Association of Christian Schools in Japan Since 1910

Assocition of Christian School in Japna Since 1910

キリスト教学校教育バックナンバー

パネルディスカッション発題

建学の精神に命を吹き込む共同の作業

安福 朗

 学校法人啓明学院は1886年J.W.ランバスが神戸に設立したパルモア学院を源流とし、1823年ハランド女子を初代院長としたパルモア女子英学院を直接の創立として今年80周年を迎える。1998年ランバス関係姉妹校間協定が締結され、その後学校法人関西学院と学校法人啓明女学院との間で締結された教育協定に基づき、2002年4月関西学院大学に継続する男女共学の啓明学院中学校が開校された。私は、啓明に新しい働きの場を与えられてまだ二年たらずの者であるが、私の発題が「共に重荷を担う」という主題の一例になれば幸いである。

キリスト教学校が担うべき「重荷」とは
 中等教育は一言で言えば自立すなわち大人に育てる教育である。自立のためには、知識や技能の習得を通して社会的自立の力を養うことが不可欠であるが、同時に自立し得る精神性や人間性の形成を通して人間的自立を促していくことが大切であろう。国際化教育・IT教育・理数教育などを進めながらもなおかつ満たされないもの、それは「人間とは何か」という根源的な問いに対する答えであり、人間理解にもとづく全人教育を真正面から取り組んでいくことの中にキリスト教学校が担うべき重荷があるのではないだろうか。百数十年前異文化の中でキリスト者たる創立者達は何を担おうとして学校を建てたのか、あらためて自分の学校の「根っこの部分」を見つめ直す作業が今問われている。

啓明の働きの中で学んだ「共に」とは
 啓明学院中学校の開設は、外と内における幾重にも重なる「共に」が無ければなし得るものではなかった。ランバス関係姉妹校間協定により「ルーツを同じくする学校で何ができるか」を緩やかな交わりの中で考えていく営みが始められ、その中に啓明学院中学校の開設の萌芽があった。関西学院との教育協定は、「少子化の中で生き残りをかけた経営戦略」にとどまるものではなく、「ランバス先生のまかれた種から実りを更に豊かなものにするための計画」であった。啓明学院中学校は、関西学院との教育協定の内実化をはかるとともに、聖和大学との幼児教育協力、パルモア学院との英語教育協定を実施し、広島女学院との平和と奉仕のための交流を計画するなど、ランバスファミリーの「共に」支えられその一員として新しい歩みを進めている。共通の理念を持つ学校・機関が再び結集して神から与えられた使命を再確認し、個々や全体の今日的能力を高めることの意義をキリスト教学校における「希望への教育」への歩みのひとつとして確認しておきたい。

 啓明学院中学校は、既存の女子中学・高校に接ぎ木する形で作られた新しい中学校であり、そこには一から中学校を新設するのとは別の重荷が存在する。「異なる思い」を持って入学してきた女子高校・女子中学・共学中学の生徒が学び、いわば「三つの学校」が存在している状況の中で、2001年4月に着任した尾崎校長(前関西学院高中部長)は「混乱があっても対立・排除を持ち込まない」との方針を明確にされ、女子高校の改革と共学中学の成功を一体のものとして進められている。そこには、すべての生徒が啓明ファミリーの一員としての誇りを持ち、それぞれが「私のために用意された学校であった」との思いを持って卒業する学校でありたいとの思いが込められている。学内のすべての営みに「共に」が無ければ成り立たない局面において、教職員には様々な諸関係を共に担う決意と力量が必要とされているのだが、私にはまだ荷は重いことだらけである。

 清重会長は主題講演で「重荷ではなく希望である」と一喝されたが、キリスト教学校が共同の作業として建学の精神に命を吹き込む営みに参加をゆるされたことを「私に与えられた希望」として感謝しつつ、これからも共に歩んでいく一員でありたいと思う。

〈啓明女学院高等学校・啓明学院中学校教頭〉

キリスト教学校教育 2003年9月号3面