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一般社団法人キリスト教学校教育同盟 Association of Christian Schools in Japan Since 1910

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キリスト教学校教育バックナンバー

夏期行事各地で開催
関東地区
キリスト教主義学校という私学の「存在理由」と「教師の役割」
第45回新任教師研修会

和田 道雄

 8月7日(木)より9日(土)まで、最終日の台風による強風と豪雨に押し出されるようにして、67名の参加者は研修会で得た共感と感動を胸に、ホテル箱根アカデミーを後にし、それぞれが遣わされた教育の現場に戻りました。

 開会礼拝の後、アレセイア湘南中学高等学校の山田信幸先生、立教女学院中学高等学校の山岸悦子先生、そして浦和ルーテル学院小学校の篠原忠晃先生から、キリスト教学校で働く先輩教師としての苦悩や喜びについて、忌憚の無い誠実な語りかけを、自分の受け持つ現場の状況を思い描きながら、一同共感を持って聞くことが出来ました。続いて、日本私学教育研究所研究部長であられる小池俊夫先生より「キリスト教主義学校という私学の『存在理由』と『教師の役割』」という演題で次のような講演をいただきました。

 先生は先ず,日本のこの十年の歩みについて分析されました。バブルが弾け、日本はアメリカのマスコミによって「失われた十年」と評され、経済的に困難な歩を続けてきました。しかし教育界では、1995年に第15期中央教育審議会が4年ぶりに発足し「21世紀を目指した我が国の教育のあり方」というテーマを掲げ、「新しい時代を開く心豊かな新しい日本人の創造」という角度から、行政サイドのいろいろな提言がなされてきた10年でありました。これは知識偏重の教育を目指した時代から、教育の原点への回帰であると先生は分析されておられます。この間マスコミを賑わす、所謂17歳問題と言うのが多発しました。今は12歳問題になってきたとさえ言われています。当該生徒の共通点は「成績の良い子」「天才と言われていた子」「特進クラスの子」であったのです。学校教育を変えて行かなければ、もっと凶悪な事件が多発しかねない状況に来ているのではないか、行政サイドがそう考え始めたのではないでしょうか。

 これからの教育は、知識の量を増やすことよりも、総合的・学際的・グローバルな力を身に付けられるようにあるべきではないでしょうか。普通科・普通コースという言い方があるが、リベラルアーツとしての普通教育がごく自然になされ、子供たちが自分の力で問題意識をもち、自分の力で解決し、学んで行く強い意志をもたせることが、これからの教育に大切なことではないでしょうか。私の母校、東京学芸大学の新制大学になった時の英語の呼称はUniversity of Liberal Arts でありました。今、公立校が教育目標を掲げてすべてを数値化し、特殊化し、東大何人、早慶上智何人といったように進学実績を看板にするような傾向をもってきています。もっと「普通の教育」が今は必要なのではないでしょうか。「岩波教育小事典」のミッションスクールの項を見ると、「初期に持っていた文明開化の先導という役割は既に持てなくなり、受験体制化、多くのミッションスクールがキリスト教に無関心な多数の生徒を入学させ、或いは受験準備を優先させる学校となったことから、創立当初の精神から遠くなったことは明らかである」と説明されています。進学実績を競うことであれば、キリスト教学校であることの意味は無いでしょう。公立学校でもできることです。伝統があるということだけでも存立の意味は無いでしょう。今、キリスト教学校が果たせねばならない役割は何でしょうか。

 1%に満たないクリスチャン人口の日本で、キリスト教教育を貫くことは至難の業です。しかし、もっと困難な時代に宣教師たちは活動をしてきました。キリスト教学校の創立者たちも、そうです。各学校の建学の精神の中にクリスチャン創立者の信仰、創立の思い、そしてその姿を見つめることが出来るのではないでしょうか。そして生徒はキリスト教学校で、その建学の精神に生かされて働く教師たちの姿を見て育つものなのではないでしょうか。

 その教師には次の6つの顔があると先生はおっしゃいます。(1)インストラクターとしての顔、(2)学習環境のデザイナーとしての顔、(3)学習メディアとしての顔、(4)モデルとしての顔、(5)学習のプロンプターとしての顔、(6)カウンセラーとしての顔(「総合的な学習と新しい教師の役割」日本私学教育研究所参照)。知識が次々と新しくされて行く時代にあって、教師は専門性を持ち続けるために学ばなければならない。また「これは正しい」という思い込みを捨てなければならない。

 また、第1コリントにあるように「成長させてくださるのは神さまです」という最後は神さまにお委ねする勇気が大切なのではないでしょうか。「大切なのはどれだけ偉大なことをしたかではなく、どれだけ助けたかです。私はほんの僅かの人々にベッドを提供しただけです」とマザーテレサの言葉で講演を締め括られました。

 就任して5ヶ月余り。教育理念と現場との乖離。キリスト教学校が育んできた伝統と進学校化傾向との矛盾。校則に基づいた指導と生徒の意識とのずれ。クリスチャンでない者がキリスト教学校で働くことの意味など、今抱えているいろいろな問題を共有し理解し、真摯な思いで語り学んだ研修会でした。

〈明治学院東村山高校・明治学院中学校副校長〉

キリスト教学校教育 2003年10月号2~3面