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一般社団法人キリスト教学校教育同盟 一般社団法人キリスト教学校教育同盟

新たな時代におけるキリスト教学校の使命と連帯-いのちの輝きと平和を求めて-

一般社団法人キリスト教学校教育同盟 Association of Christian Schools in Japan Since 1910

Assocition of Christian School in Japna Since 1910

キリスト教学校教育バックナンバー

教育同盟の歴史

徳永 徹

 キリスト教学校教育同盟のホームページを開くと、教育同盟の沿革が紹介されている。前身の「基督教教育同盟会」が一九一〇年に誕生し、次いで生まれた「女子基督教教育会」と一九二二年に合同して、現在の「キリスト教学校教育同盟」が結成された経緯などである。

 この「沿革」を読んで改めて感じることは、同盟の歴史が多分に抵抗の歴史であったことである。特に明治三十二年の文部省訓令第十二号に対するさまざまな抵抗が、同盟の成立と結束の基盤となっていることが知られる。第二次大戦中の一層の弾圧に対する抵抗は、最後は各学校レベルで行われたのであろうか。現在、同盟創立百年の記念史編纂が進められているが、私個人としては、大戦中の教育同盟の抵抗の記録をできるだけ知りたいと思う。

 手元に一つ記録がある。戦時中、西南学院の校長で、戦後、福岡県知事や久留米市長を歴任された杉本勝次氏が、大戦を挟む二十五年間、福岡女学院の院長をした徳永ヨシ(私の父の姉に当たる)の追悼に寄稿された文章である。

 キリスト教を撲滅しようとする市民の大集会で、牧師や西南学院の多数の学生が警察署へひっぱられた話に続いて、こう書かれている。「このような雲行きの時である。戦局はいよいよ緊迫してきた。基督教教育同盟の会合は幾たびか東京に召集せられ、私も出席していたが、それは文部省や地方官憲から、我等の基督教主義学校に対して加えられる圧迫や難題を報告し合い、これに対する態度対策を協議すること、或いはミッションからの援助を断たれてこの後の経営をどうして切り抜けるかというような問題であった。そうした会合の中にあって、私の印象に特に強く残って、立派だなあと心から敬服する発言をされていたのは東京女子大学の安井学長と福岡女学院の徳永院長のお二人であった。それは勇気と信仰に充ちたもので、静かに強く、また深い響きをもっていた。ほかにも立派な議論をする人は無論あったに違いないが、私にはこの二人の女子教育家が特に異彩だと感じられたのは事実である」と。

 戦後キリスト教主義学校は、時代の追い風を受けて急速に拡大の一途をたどり、同盟も百三の学校法人、三百十八の設置校、三十四万余の学生・生徒を擁するまでになった。しかし順風の中で、かつて逆風に向かって毅然と挙げた帆は、力を失って凋んできてはいないだろうか。それが今日の教育同盟にとって「共に担う重荷」の一つであろう。私は狭量のキリスト教主義者ではないつもりだが、しかし仮に学院のキリスト教主義が失われることがあれば、学院存立の意義は無くなるので、たとえ経営がどんなに順調であっても、戦時中の先輩たちが覚悟したように、学校を閉鎖すべきだと考えている。

 他方、法人の寄付行為には「キリスト教主義によって教育基本法に従い学校教育を行なうことを目的とする」と明記されている。現在教育基本法の改変の声が大きくなっているが、この変更は法人の基本に関わることで、同盟としても成り行き任せでなく、何らかの明確な姿勢を表明すべきではないだろうか。

〈福岡女学院理事長、前院長、同盟理事〉

キリスト教学校教育 2004年4月号1面