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一般社団法人キリスト教学校教育同盟 Association of Christian Schools in Japan Since 1910

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キリスト教学校教育バックナンバー

青山学院初等部
国内短期留学

窪田 靖

 初等部の児童が初めて国内短期留学に出かけたのは、昭和五十一年のことでした。以来、いくつかの学校や福祉施設と交流を持たせていただきました。今では止揚学園(滋賀県)、秋田金足西小学校、北陸学院小学校(金沢)と交流をしています。その中で、主にある交わりと言える止揚学園と北陸学院小学校との交流についてご紹介させていただきます。
 
止揚学園
 福井達雨先生によって創立された止揚学園は昨年四〇周年を迎え、初等部からの短期留学は二十二回目となりました。

 滋賀県能登川にある止揚学園は、一九六二年に知能に重い障害をもつ子どもの施設として始まり、一九八九年に大人の施設となり現在に至っています。

 初等部が入学試験でお休みの十一月四日から七日までの四泊五日間、四年生から五年生までの児童八名が 止揚学園の方々と共に生活をしてきました。今年は止揚学園が一部建て替え中で、お風呂や食堂が狭く、例年並の三十人程という人数の受け入れは無理というご連絡を受けていたとはいえ、希望者は八人にとどまったこと、六年生の参加がなかったことは少し残念でした。行き帰りは大人が同行せず、子どもたちだけでの行動です。

 礼拝をしました。ご飯を食べました。片づけをしました。おそうじをしました。お風呂に入りました。貼り絵や、陶芸や、クッキー作りをしました。犬と散歩し、ポニーの世話をしました。琵琶湖に遠足に行き、水族館にも行きました。どれもこれもみんな一緒に。そして、一人一人に与えられている賜物の大きさ、すばらしさ、大切さに気付いて帰ってきました。

 このような機会を与えてくださった神様、止揚学園の皆様には心から感謝をしています。

○児童の作文より
「やさしい心、止揚学園」
 止揚学園では、どの人も物を大切にする。食事の後の食器ふきでお皿を重ねる時に、一つも物音が立たない。そうじだって、同じ所を何度も何度も丁寧にふく。今、前に食堂があった建物が取り壊されている。工事の一週間前の食事の後、止揚学園のかをるさんがそうじをしている時、「おおきに、おおきに。」と言いながら、雑巾で丁寧に色々な所をふいていたそうだ。それは、建物に今までお世話になったから、それに対しての感謝を表していた、ということになる。かをるさんは、とてもやさしい心を持っているのだなぁ、と思った。

 二日目、いのこ山へ遠足に行った。私と手をつないでいたかつみさんは、自分のペースで休まないと歩けない。私達は列の真ん中くらいを歩いていた。

「はぁ、はぁ、もうつかれたぁ。」かつみさんが言って止まってしまった。私は、後ろの人達がいつ文句をいい始めるかと、内心どきどきしていた。でも、だれも文句を言わない。かえって心配しているような顔だった。初等部では、こんな事があったら不思議なほどやさしい心がない事も分かった。とても悲しくなった。初等部でもやさしい心を大切にしなくてはいけないな。(五年女子)

北陸学院
 北陸学院小学校とは、キリスト教学校教育連盟のつながりの中で交流が始まりました。ハンドベルコワイアの合宿を合同で行ったり、初等部の雪の学校で北陸学院の先生がご指導してくださったりという形で始まり、こちらからの短期留学は、今年で九回目となりました(毎年というわけではありません)。そして、今までは東京から金沢へという一方通行でしたが、今年から東京へもいらしていただくことになりました。どちらも在校児童の家庭にホームステイし、学校ではクラスに入って生活します。

 北陸学院からは五、六年生合わせて十三名が、九月三十日から三泊四日でいらっしゃいました。ちょうど初等部の運動会が入り、慌しかったのではないでしょうか。
一方、初等部からは十一月四日から三泊四日の日程で四年生から六年生まで十四人がお世話になりました。北陸学院小学校のホームページにはこれらの交流について詳しく紹介されていますので、是非そちらを御覧ください。

○児童の作文より
 私は北陸学院への短期留学が決まってから、金沢に行くのをとても楽しみにしていました。そこで、北陸学院のホームページを見て学校のことを調べました。

 まず、北陸学院小学校と初等部の一番の共通点はキリスト教教育を行っているという事です。北陸学院の創立は一八八五年、アメリカ人宣教師のメリー・K・ヘッセル先生によります。初めは金沢女学校という名前でした。その後、一九〇三年文部省令変更によって廃校となりましたが、一九六一年に小学校が再開されました。初等部は一八七四年、アメリカ人宣教師のスクーンメーカー先生により、麻布に女子小学校として開かれたのが第一歩です。北陸学院が一時廃校となった一八八五年ごろは国のキリスト教に対する締め付けが厳しかった時代です。青山学院も一八七四年、キリスト教を捨てず、ふつうの学校から各種学校になりました。この様に学校の創立やその後の経過が非常に似ていると思いました。

 実際に北陸学院に行ってみると、校舎は二階建てで、初等部よりもずっと小さく、こぢんまりしていました。生徒数は一学年二十五~三十人で、一クラス編成でした。全校あわせても百六十~百七十人と、初等部の一・五学年分位です。礼拝堂は一階建てでとても小さかったけれど、祭壇が目の前にあり、すごくきれいでした。制服はスカート、ブレザー、ブラウス、セーター、靴下全て決まったものです。とてもうらやましかった事は、制帽がなく靴下は紺のハイソックスで、かばんが自由なことです。クラスはとても明るく楽しいので、すぐにみんなと仲良くなりました。(六年女子)

〈青山学院初等部教諭〉

キリスト教学校教育 2004年4月号3面