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一般社団法人キリスト教学校教育同盟 Association of Christian Schools in Japan Since 1910

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キリスト教学校教育バックナンバー

全体会のまとめ

「人をはぐくむ」ために

松田 和憲

 研究集会における主題講演、パネルディスカッション、三度に亘る分団討議などに関する報告を受けて取りまとめた全体会の共通テーマは、
(一)「建学の精神」の今日的意味とその具現化
(二)生き生きとした学校礼拝を実現するために
以上二点にまとめ上げられた。

 さらに、これらの共通テーマに至る経緯について少し説明を加えるならば、大学・短大分団では共通の課題として、個別の学校における「建学の精神」を、今日の時代的状況の中で風化させずに、いかに教育の現場で活かしていくか、またそれとの関連で、根幹に位置する「学校礼拝」をどう捉え、いかに実践していくべきか、これら二点に集約されたと云えるだろう。

 他方、小中高分団においては、生命線としての学校礼拝をどう教育の中心に据えていったらよいのか、さらには「建学の精神」の具現化として、どんな取り組みや活動が可能であるか、とりわけボランティア活動を通して、いかに他者との関わり、また自らをどうはぐくんでいったら良いのか、こうした事柄が討議された。

 全体会においては、前述の共通テーマに基づき、前半では「建学の精神」の具現化について、後半では「学校礼拝」の位置と実際について活発な意見交換を行った、ということである。

 全体会の主旨に沿って、ある種の結論を無理に模索するというより、参加者各自がそれぞれの立場で響いた事柄や受けた課題等について自由にディスカッションする形態を採った。それら個別の議論、その内容について詳らかにするいとまも余白もないので、以下かなり独断的な形でそのあらましについてまとめさせて頂いた。

 まず「建学の精神」に関しての討議について率直な感想を述べるならば、押しなべて、いずこのキリスト教学校でも、この問題は「諸刃の剣」となっているのではないかとの印象を受けた。時として、内外に自らが拠って立つ精神的支柱として振りかざす事柄になるかと思えば、他方、その内実化、受肉化の問いの前に常に苦闘を余儀なくさせられている事柄であるとも言えるのかもしれない。

 いずれにせよ、容易に解答は得られるはずもないが、さりとて安閑としていられる状態にはない。こうした重い課題を何とかして担い、どんな形であるにせよ、ある種の突破口を見出したいと切望する雰囲気が全体を包んでいたように思う。
 
 その中で、主題講演をされた深谷先生のコメント、牧師の刀祢館先生の奨励が大きな方向付けになったといえよう。深谷先生は、「建学の精神」における一致を目指す教育において、真・善・美を追求することは肝要なことではあるが、さらに不可欠な事柄は「聖なるもの」への憧憬と、若き魂が生きることに対する「存在の確かさ」を抱くように誘うことにある、と語られた。

 ご自身の実践に裏打ちされた味わい深い言葉であり、とかく自信を喪失しかけているキリスト教学校につらなる教員たちに対する励ましの言葉となったように思う。

 また刀祢館先生は、礼拝において「建学の精神」を継承していくということは、創始者の熱い想いによって編み出された「はじまりの物語」を共有していくことであり、それを受けて、それぞれの教師、学生・生徒たちが、自らの「はじまりの物語」を紡ぐことにある。年毎に学園を巣立っていく一人一人が自分自身の「物語」を社会において紡ぎ出していく。そしてそ「物語」が多様であればあるほど、より豊かな「物語」が生まれてくる。これまた、含蓄に富んだ言葉であった。

 またフロアから「霊性(Spirituality)」の大切さは重々承知しているが、それをいかに育てて言ったらよいのか、これは大きな課題ではないかとの指摘もあった。

 後半の「学校礼拝」をめぐる話し合いも有益なものとなった。

 最初の部分は、「礼拝」の神学的意味について、教会の「礼拝」と教育の場における「学校礼拝」の相違点と共通点などについて話し合われたが、この議論に関しては、微妙な力点、軸足の違いもあって、あえて深入りすることはしなかった。むしろ、「学校礼拝」を各校がどう捉え、教育プログラムの一環として、さまざまな工夫を凝らすことによって、学生・生徒たちが嬉々として礼拝に集い、そこから恵みを受けるか、そうした具体的な問題に関して実践報告も兼ねた話し合いとなったと言えるだろう。

 この議論において、特に印象に残ったことを二、三点挙げるならば、深谷先生が、キリスト教的人格形成のためには、「学校礼拝」が不可欠の事柄であり、教職員がこぞって共に祈りを一つにすることが大切だと力説されたこと、また越川先生が、日本のキリスト教の歩みにおいて、いまだかつて「学校礼拝」に関する神学的検証を行った形跡がないことを指摘され、今後の課題が与えられたように思う。

 以上、大雑把な報告となってしまったが、全体的に言えば的をはずすことの少ない締まった話し合いになったのでないかと受け止めている。関係者各位のご協力に心からの感謝を申し上げたい。

〈関東学院大学宗教主任・教授〉

キリスト教学校教育 2004年9月号3面