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一般社団法人キリスト教学校教育同盟 一般社団法人キリスト教学校教育同盟

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一般社団法人キリスト教学校教育同盟 Association of Christian Schools in Japan Since 1910

Assocition of Christian School in Japna Since 1910

キリスト教学校教育バックナンバー

各地区の夏期行事
関東地区
今教師は互いに助け合い、声をかけ合い、
分かち合う時代
第46回新任教師研修会

平塚 敬一

 東京の真夏日連続記録更新が予想される中、箱根に溌剌とした若さ溢れる五十名の新任の先生方を迎えて八月九日から十一日まで第四十六回関東地区新任教師研修会が開催された。キリスト教学校が活力に満ちた教育を進めていくには後継者の養成が緊急の課題となっている今、この研修会の役割は大きいと言えよう。

 講師は精神科臨床・福祉教育などが専門の平安女学院大学教授の工藤信夫氏であった。また、「私の経験」という内容で寺内玲子氏(東洋英和女学院中高校)、熊谷芳郎氏(茨城キリスト教学園中高校)、木越憲輝氏(聖学院小学校)の先輩教師からの発題がなされた。

 工藤信夫氏は、大学、病院、地域医療の臨床医としての豊富な経験を通して参加者に示唆に富む話をされた。三名の先生からは、それぞれに自分の失敗した経験などを率直に語られ、その誠実な人柄と相俟って新任の先生方へ刺激的なメッセージとなった。

 講演は「ミッションスクールで働くこと―臨床医の経験から―」との演題で、工藤氏自身の医療現場における体験を参加者の教育現場における体験と照合して、自由な語らい、討論、分かち合いの時としたいと前置きして話が始められた。講演Ⅰでは、「今は教師にとってどんな時代か」ということをメンタルヘルスの面から指摘された。

 ヘンリー・ナウエンによれば、現代はスコトーシス(闇)の時代である。そして、このスコトーシスが今の時代において人間形成に取り組むことを遠ざけてしまっている。そのような時代であるからこそ、教師は互いに助け合い、声をかけ合い、分かち合うことをしなければならないと話された。ある大学に「失敗学」という講座があるが、人間は失敗を学ぶことによってますます創造的になっていく。逆に失敗を認めず完全ばかりを求めると人間は窒息してしまう。失敗を通して教育力が養われ、連帯が生まれてくる。その意味で現代は教師が失敗を恐れないで互いに助け合い、分かち合わねばならない時代である。しかし、教師として成長していくためには、Wentor(教育的指導者)とPeer(同労者・仲間)が必要になってくる。特に新任教師は、早い時期に教育的な経験があって、専門的に指導してくれる人及び仲間として語り合える友人を見出すことが必要であると指摘された。そして、この無秩序・無責任と言われる時代にこそ本当のスピリット、本当のミッション、本当のエリートがキリスト教学校から生まれてこなければならない。果たしてキリスト教学校は保護者の期待に応えるような目の覚める教育をしているのかという問いかけで最初の講演を締めくくられた。

 講演Ⅱでは、「初期体験の持つ意味」について、講師自身の原体験を例に話が始められた。初期体験の時にいろいろ思ったり、考えたりしたことが、十年、二十年先を方向づけることになる。働き人の医療観、教育観は、案外その人がその働きの初期にどういう経験をしたかに大きく作用されるとの指摘があった。

 次にユングの文章を引用しながら「ペルソナ」についての説明がなされた。医療者、教育者などは、社会的な期待とか役割を担っている。だから、教師は一人前になるとか、人の役に立つために、その存在証明のためにペルソナを身につける必要がある。しかし同時に、ペルソナにあまりにも同一化した自我は、外的な自分の位置づけしかできず、内的な出来事が見えにくくなり、それに応じきれない。従って深い心の動きに対して無意識のままであることが起こりうる。同一化の危機というのは、深い心の動きに対して無意識のままである。すると、細かい人間的な事情とか悲しさとか、そこに託されている痛みとかの内面的な豊かさに極めて無感覚になってしまう。だから、教師はペルソナを形成すると同時に自分の内面を見つめることだ。自分自身を教えるものは自分自身を養う。どうか自分自身を大切にしてほしい、との言葉で講演が終わった。

 今年の「キリスト教学校教育同盟の現状紹介」は、関東地区代表理事・教研担当理事でもある船本弘毅氏(東洋英和女学院院長)が、キリスト教学校教育同盟の設立の背景となった訓令十二号の歴史的意味や現在の同盟が直面する課題などについて四十年近い同盟との関わりを通して味わいのある話をされた。さらに教育・研究委員会がまとめたばかりの『建学の精神―加盟校のキリスト教活動』という冊子が参加者に配布され、建学の精神が単なる理想や一部の役職者たちだけではなく、すべての勤務員によって共に担われるものにならなければならないと強調された。参加者は改めて建学の精神を自分の課題として受けとめることを自覚させられ、実り多い時を共有することができた。

 分団協議は、中学高校で四つと小学校一つ、各十名ほどの少人数であったので一人ひとりの抱えている苦悩や喜びを出し合い、密度の濃い話し合いとなった。全体協議では、この研修会で気づいたこと、九月に向けての決意を参加者全員が短い言葉で語ったが、話す人と聞く人の気持ちが一つになった九十分であった。毎食時の学校紹介は、趣向が凝らされ予定時間を大幅に超えたが、とても楽しい交わりの場となった。

 厳しい時代であるからこそ、それぞれの現場の違いを超えて、同労者どうしが出会い、交わる喜びがある。キリスト教学校に勤務する私たちが共に協力して、社会に応え得る人間の育成を実現できればと願いながら箱根の山を下った。

〈立教女学院中学高校校長〉

キリスト教学校教育 2004年10月号3面