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一般社団法人キリスト教学校教育同盟 Association of Christian Schools in Japan Since 1910

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キリスト教学校教育バックナンバー

研修会のまとめ
こどもたちの感性をどう刺激するか

矢崎 茂樹

 第四十七回小学校代表者研修会(樋口善一委員長)が一月二十四日(月)~二十五日(火)の一泊二日の日程で「人をはぐくむキリスト教学校」という主題で行われた。京都ガーデンパレスに講師として同志社大学名誉教授の深田未来生先生をお迎えし、「根っこで支える人間をめざして」という演題で講演をしていただき、大変充実した会を持つことができた。
 開会礼拝は、立教女学院小学校の吉田太郎先生が担当された。マルコによる福音書十章「子どもを祝福する」の部分を朗読され、イエスに従う私たちは、クラスの中で手が掛かる子どもに対しても「あなたは素晴らしいんだ」と言い続けられる生活を続けていきたいというメッセージだった。
 続けて樋口委員長から、子どもを巡った悲惨な事件が多くなった今、何を規範にすれば良いかという事が大切で、キリスト教を共通の基盤とする私たちの学校が闇の中に光を放つ役割があるというお話しを頂いた。
 そしてメインの深田先生の講演である。先生の幼児期は自由学園の幼児生活団で、羽仁説子(羽仁もと子の娘)に教えていただいたという体験を話された。羽仁説子の暖かいパーソナリティで子どもを一つの人格として大切に扱ってくれたことで大きな影響を受け、二十代で同志社に来て、新島襄に共鳴したというお話だった。
 私たちが生きるこの社会は情報が手に入りやすくなり、コンピュータで子どももでもあらゆる情報が得られる状況を、「情報に爆撃されている」という言葉で表現された。こうした中で、周りに向くアンテナが必要ということだった。テレビゲームに集中して、自分の電話ボックスみたいな物の中が心地よいという時代に、どうやったら他者の存在を知りながら共生することが出来るようになるのかという問題解決への一つのヒントを次のような例で示してくださった。アメリカに住んでおられる先生が先日CNNのテレビ番組を見た話である。最近のCNNの報道はスマトラ沖津波の被害に集中してきたそうだ。小学校でその津波の事を題材にした授業が取り上げられていた。教師が投じた題材から子どもたちは知らなかった土地に興味を持ち、地図を出してきてそこに自分の心を寄せていく、そして津波を自分たちが受けたらどうなのかと思い、被災者に対して自分たちに出来ることを考え、貯金を出したり、ガラス磨きをしたりして寄付をするというところまでしたのである。こうして、他者との関わりを持つという可能性を子どもは持っている。こどもたちの感性をどう刺激するかということが大切だというお話だった。
 ヨセミテ国立公園に樹齢三千年ぐらいのメタセコイアの森がある。レンジャーの説明でこの木の根は二m弱ぐらいで深くないが、横には約四十五mも伸びて、お隣の根と根が絡まって支え合っているために相当な嵐でも倒れないと聞いたことから、人間も根っこでお互いを支え合うことが大切だという話で結ばれた。
  この後、分かち合いが行われ、それぞれの学校の様子を具体的に伺うことができた。その中で同志社大学の附属小学校開設の準備をされている丸中裕美子先生から、新島襄の精神を受け継いだ児童を送るというのが目的というお話を伺った。この後深田先生からさらに人が成熟するためには、小学校の時にどういう人に出会うかという事が大きく影響していくというお話を伺った。成熟した人間は自分の世界を持っており、自分の限界も長所も知って、その世界を豊かにしようとしている。他の世界に入ってもその世界を味わえるというのが成熟していく人間の特徴ではないかなということだった。
 二日目は、司会が佐藤勇先生(捜真小学校校長)で、記録は吉田太郎先生(立教女学院小学校)が詳細にしてくださったものを要約させていただいた。
 深田先生から、参加者の話を聞いた後付け加えて次のような話を伺った。
 「小学校教育の重大さ、子供の成長に与えるインパクトの大きさを改めて感じた。学校長の最終決断に至る上での組織内でのコンセンサスを得ることは困難であるが、プロセスを共有化し、お互いに自分の意見を述べ、聞くという中で、教育の質は高められる。プロセスを大切にすることが、ひいては子どもたちの成熟を促すことにもなろう。それぞれの教師の「人間性」、本当によい意味でのキリストの香りを放つ教師が求められている」
 また参加者の中かから、キリスト教主義といっても学校の経営、生き残りのためには学力偏差値を伸ばすことが最優先されるという話題に対して、キリスト教学校は、滅んだとしてもやはり、建学の精神やキリスト教主義といったものを失っては存在価値がない。というご意見もいただいた。
 最後に二日間を通して感じた事は、私たちに共通のキリスト教の理念が、次世代を担う子どもたちにとってどれほど大切かという事である。私たち自身が根っこで互いを支え合っている事を実感する研修会だった。

〈立教小学校教諭〉

キリスト教学校教育 2005年4月号2面