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一般社団法人キリスト教学校教育同盟 一般社団法人キリスト教学校教育同盟

新たな時代におけるキリスト教学校の使命と連帯-いのちの輝きと平和を求めて-

一般社団法人キリスト教学校教育同盟 Association of Christian Schools in Japan Since 1910

Assocition of Christian School in Japna Since 1910

キリスト教学校教育バックナンバー

聖書のことば

石垣 雅子

「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」(マルコ1・15)

 本校の体育では平均台の授業がある。高さ一・二五メートル、一〇センチ幅の平均台上で、バランスを取ったり前転をしたりする。「すごいなぁ」と感心する。でも、ときどき恐怖心から立ちすくんでしまう生徒や、上りたくないと泣き出す生徒もいるようだ。生徒の多くは何度も落下を経験する。もちろん下にはマットが敷いてあるので、落ちても怪我はしないようになっている。

 わたしは人間の人生とはこの平均台みたいなものだと考えることがある。みんな何とか落ちないように、失敗しないように気をつけている。でも、いつも上手くいくとは限らない。気をつけていても落っこちることはある。しかし、平均台の上を歩き続けなければならない。自分の足で一歩一歩を踏み出していかなければならない。そして、落ちたならまた自分の力で台の上に何とかよじ登らねばならない。勇気が必要だ。

 人生において失敗しない人は一人もいない。もちろんわたしたち大人もだ。ましてや生徒たちは何度も何度も失敗を繰り返す。でも、そのうちの多くは取り返しのつかないものではないし、失敗することによって経験的に学ぶことは多いはずだと思う。失敗しないように、失敗させないように先回りする必要はないのだ。

 イエスは、幾度となくわたしたち人間に悔い改めを教えている。そして「悔い改めよ」と呼びかけている。わたしたちの日常的な事柄として考えてみると、悔い改めとは自らの過去を後悔し反省し、その上で、自らの未来を改革し改善していくことだとわたしは理解している。

 平均台から落ちたならば、また再び平均台に上ること。何故落ちたのか考えて、今度は上手くバランスをとるように頑張ってみること。狭い平均台だから恐怖感を感じることもあるだろう。そんなときには、励ましを与えてやりたい。

〈弘前学院聖愛高等学校宗教主任〉

キリスト教学校教育 2006年3月号1面