キリスト教学校教育バックナンバー
聖書のことば
藤山 修
「主よ、あなたは私を究めわたしを知っておられる。…… どうか、わたしを とこしえの道に導いてください」(詩編139・1、24)
九十六歳になったまど・みちおさんが本を出しました。編集者の質問に答えた内容が本になったものです。聞かれるので、仕方なく「つぶやくように言わせてもらった」という内容がまとめられています。そのタイトルは『いわずにおれない』(集英社be文庫)となっており、本のできた事情と合わないタイトルでユーモアを感じます。
まどさん自身が、自分の詩について解説をしているところがあります。例えば「ぞうさん」という詩について、鼻が長いことを悪意を込めてからかわれても、お母さんに似ていることを誇りに思っているので、「そうよ」とほめられているように受けとめている子ぞうの気持ちを表現したのだそうです。また、生きものが「ごまん」といることの不思議と魅力を、「ノミ」という詩で表現したそうです。
「すばらしいことが/あるもんだ/ノミが/ノミだったとは/ゾウでなかったとは」
ものに対峙し、直視し、そのもの自体を捉えようと納得のいくまで書き直し、推敲していると、その背後まで見通すことになって、それをそのように存在たらしめている力に思い到るようなことを、まどさんは語っています。そして、自分の生き方について、「自分は無宗教なんですが、人知を越えたある大きな力、宇宙の意志のようなものを感じずにはおれません」。それは、すべての存在をそこにそういう状態であらしめている力であり、愛に満ちており、すべてお見通しの力であって、その前では嘘は絶対につけない、それだから正直に生きるしかないと、まどさんは言います。
まさしく、「正直に生きる」ということは、全知全能の神の存在を認めることによる、そうせざるを得ない生き方なのだと思います。
人間は、否、私はいい加減な存在ですから、全知全能であられる神の存在を認めなければ、平気で嘘をつき、ごまかし、いい加減に生きてしまうであろうと思います。
〈茨城キリスト教学園中学校教頭〉
キリスト教学校教育 2006年4月号1面