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希望と喜びに生きる-新たな転換期に立つキリスト教学校-

一般社団法人キリスト教学校教育同盟 Association of Christian Schools in Japan Since 1910

Assocition of Christian School in Japna Since 1910

キリスト教学校教育バックナンバー

聖書のことば

永野 茂洋

「あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか」(マタイ7・3)

 新学期は新しい出会いへの期待が膨らむ季節です。しかし、学生らにとって重要なのは、衝撃的でドラマティックな出会いというよりも、日々の活動の中でだんだんと深まってゆく出会いの方かもしれません。

 私の好きな越後の良寛の逸話には、その種の出会いのためにはいったい何が必要なのかを、いきいきと活写した逸話がたくさん残っています。次の話もその一つです。

 あるとき、良寛は「お金を拾うのはとても楽しいことだ」、と村人が言うのを聞きます。それで彼は、それは本当だろうかと実験してみた、というのです。良寛はお金を道に捨てて、拾ってみた。しかし、全然楽しくない。これは、人が自分を欺いているのではないか、と疑います。そして、何度もお金を捨てては拾ってみたが、やはりいっこうに楽しくない。そうこうしているうちに、お金がどこかにころがってしまって、分からなくなってしまった。これは大変だ、と慌てて探し回って、そしてやっと見つけて、大喜びをした。そしてこう言います。「人、われを欺かず」と。

 良寛は、農民たちのずるさや小心をよく知っていました。しかし、彼らの金銭欲のあさましさをとがめたり、農民はこれだから困るといった、上から見下ろす態度をとったことはほとんどありませんでした。もしそうしていたら、彼には村人の言う「楽しさ」の意味も、その背後にある村人の貧しさの意味も、ついに理解できないまま、出会いは終わっていたかもしれません。

 「人、われを欺かず」。そこまで視線を低くした良寛を、農民たちもまた受け入れ、慕い、語り伝えました。彼らも、そのようにして繰り返し、繰り返し良寛と出会い、理解を深めていったからです。

 出会いには、そのようにじっくりと、お互いに相手を確かめ合うように出会う出会いというものがあります。だんだんと出会う。そのために、わたしたちも相手の視線の高さに身を置く者であり続けたいものです。

〈明治学院大学教授〉

キリスト教学校教育 2006年5月号1面