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一般社団法人キリスト教学校教育同盟 Association of Christian Schools in Japan Since 1910

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キリスト教学校教育バックナンバー

座談会
新島学園の教育
-新しい時代の人材育成-

1、私にとっての新島学園の教育

松本 本日はお忙しい中お集まりいただき、ありがとうございます。今回は外部からのご意見も取り入れるため上毛新聞の藤井文化生活部長にもご出席いただきました。

 では、最初に各方面でご活躍されている卒業生の皆さんが学園で受けた教育についてお聞かせ下さい。

大久保 私は終戦直後、米軍が近くに駐留したため英語の必要性を感じ、近くの教会の英語学校に通い始めました。そこの先生方の多くは留学経験をお持ちで視野が広く、日々の生活のことしか考えられない周囲の大人達と違い、戦後日本の未来に希望を持っておられました。この先生方が後の新島学園の先生方でした。私はこのような先生方の授業を受けたいと思い、一九四七年学園設立と同時に中学に入学しました。先生方は教科指導の他にも色々な話をしてくれました。ある先生は、戦後日本を立て直すために、まずは農業の効率化を図らねばならないという話を英語の授業中にされました。

 このように学園の先生方は、人間として生まれた者は、どのように自分の人生の目的を考え、生きていくべきかということを様々な角度から教えてくださいました。先生方の人生観についてのお話が、学園から授かった最大の宝物でした。物事の考え方、判断力を身につける大事な中学・高校時代に学園の影響を受けたことを非常に感謝しております。

田村 私は新島学園中学校に一九五一年の四月に入学し、学園の教育寮である清心寮に入りました。寮の生活は先輩との上下関係など大変厳しく忍耐力を養いました。朝食前には寮生全員で主の祈りを行いますが、一人でも足りないと開始されず、食事になりませんので、他人に迷惑をかけてはいけないという意識をもつ習慣を普段の寮生活から身につけました。宗教の時間には、「汝の敵を愛せよ」という聖書の言葉を勉強しましたが、当初私には意味が分かりませんでした。今にして思えば、これはビジネスに通じますね。ビジネスは様々なお客様を相手にしなければなりません。お客様を選んでいては商売にはならない、他人の非を中傷するより、自分が歩み寄る努力をしなければ物事はうまくいかないという意味が「汝の敵を愛せよ」という言葉にはあることを学園で教えていただきました。

 私は一九九〇年に町長に着任し、現在まで八ツ場(やんば)ダム事業を手掛けております。それまで行政経験も議員経験も全くない私にとって、町長という仕事は忍耐の連続でありまして、就任二ヶ月で辞任を考えました。それでも、首都圏の人々の水瓶となる八ツ場ダム事業を誰かがやらなければならないという使命感をもって、多くの批判にも耐えに耐えて進めております。これは、学園で養った忍耐力と精神力の賜であると感じます。学園は社会生活における基本を抑えた教育をしていると解釈しています。相手に迷惑をかけてはいけないという意識を植え付けていただいたことに今ではとても感謝しています。

松本 戦争で群馬県に疎開してきた私は、小学生時代はいじめられており、逃げるようにして新島学園中学に入学しました。入学直後、授業の合間に渡り廊下から上履きのまま外に出たところ、校長先生に「松本くんダメだよ」と注意されたことに衝撃を受けました。校長先生が入学したての一生徒など覚えているはずがないと思っておりましたので、名前を呼ばれたことが強烈な印象として残っています。この一言で私は学園の教師は一人一人の生徒をしっかり見ているということを実感しましたので、それ以後は学校が楽しくてしょうがなくなりました。

 学園では、一人一人が自分の考えを持ちなさいと教育され、私は社会に出てからも自分の考えを貫き通してきました。一例を挙げますと、数年前に銀行の大蔵官僚に対する過剰接待事件がマスコミで取り上げられたことがありました。当時、私は職場で大蔵省との折衝を所管する部長の職にありました。私は従来から「権限を持った役人がタダ酒を飲むのはけしからん」と思っておりましたので、接待する立場にありながら接待しませんでした。ただし、接待しない代わりに仕事はしっかりやると決め、他行の人間以上に大蔵省との折衝を行いました。そんなある日、過剰接待が表沙汰になり、東京地検特捜部が強制捜査に着手し、私は責任者でしたので手帳などを押収され、事情聴取も受けましたが、自分の主義主張で接待しないことを何度も説明し、また、検察の事実調査でも私が接待していないことが明らかになりました。

 私は立派なことを考えているわけではなく、自分自身の考えを持ち、その考えを行動にして貫き通し、その代わりに人並み以上に働く覚悟でいました。その結果、サラリーマン社会で評価されなくても仕方ないと割り切っていました。自分の考えを貫くことを学園の先生に教えられたとつくづく思っています。

松井 私は一九五五年から六年間、新島学園で学びました。私の家族は安中教会創設と同時に洗礼を受け、農閑期には、私の自宅に安中教会の牧師先生が見えて、集会が開催され、小さい頃から父の膝枕で説教を聞いて育ちました。そんな環境下にあったものですから、中学は学園に入学するのが当然だと考えるようになり入学しました。高校三年間は野球部で燃焼し、チームワークの重要性と強い精神力、忍耐力が養われたと思います。授業は非常にハイレベルであったことも覚えています。当時は体育教師がいなかったので、体育の授業はソフトボールとサッカーばかりでした。その後、全国的に名を馳せた学園のソフトボール、サッカーの伝統は、当時から根付いておったのだなと感じます。

 私が学園で一番印象に残っている思い出は、卒業式での校長先生の式辞です。今でも忘れず、人生の指針として実行しています。それはマタイによる福音書第五章十三節~十六節(口語訳)「『あなたがたは、地の塩である。もし塩のききめがなくなったら、何によってその味が取りもどされようか。もはや、なんの役にも立たず、ただ外に捨てられて、人々にふみつけられるだけである。あなたがたは、世の光である。山の上にある町は隠れることができない。また、あかりをつけて、それを枡の下におく者はいない。むしろ燭台の上において、家の中のすべてのものを照させるのである。』 卒業生の諸君はこれからの人生で『地の塩』『世の光』となって『人々のため』『地域のため』に学園の卒業生としての『誇り』『豊かな心』『強い精神力』をもって王道を歩んで頂きたい。」という言葉が今も私の心の支えになっています。私自身は金融の道を歩んでおりますけれども、お客様に接するときには、一人一人を愛しその人格を重んじることを実行しております。おそらく学園で学ばなければこれができなかったのではないかと思い、非常に感謝しております。

藤口 入学直前まで新島学園の存在すら知らなかったのですが、親に自由な校風だからと勧められ、入学しました。私の家は遠方だったので清心寮で生活しました。小学校を卒業して直ぐに親元を離れたため、最初は寂しかったのですが、素晴らしい先生方、友人たちに出会うことができ、次第に楽しくなりました。そして、自由な校風の中で六年間生活し、自己の確立、自律がなければ本当の自由は勝ち得ないことを学びました。また、自己主張も大事であり、友達とも互いに主張し合わないとお互いの良さが分かりませんが、このようなことが自然にできる校風が学園にはあり、この六年間で自分の人格の八割以上が作られたのではないかという気がします。

 入学するまで無縁だったサッカーに今でも仕事として携わっていられるのは、新藤先生という非常に情熱を持った、サッカーに全てを賭けているような先生に出会えたからだと思っています。それから寮での六年間、自分にとって一番良かったのは食事の好き嫌いがなくなったことです。それによりサッカーを出来る身体が出来たと思います。身体も精神も学園の六年間でできあがったなと感謝してもしきれません。

野口 私は高校から新島学園でお世話になりました。学園に入学して学び、多くの人と出会ったことに必然性を感じています。これは大いなるものに導かれた道だなとしみじみ感じています。

 まず、面白いなと思ったのが、他の学校でもそうだったのかもしれませんが、先生方をあだなで呼ぶことです。しかも抵抗なく、失礼だなという思いもなく使ってしまうのです。不思議な学校だなと思いました。

 私が好きだったのが礼拝堂です。あそこのオルガンの音、讃美歌も、聖書を読むことも大好きでした。朝の礼拝も楽しみでした。校長先生が朝の礼拝で一生懸命に話をされる姿をよく覚えています。印象に残っている校長先生のお話があります。それは「薫る人間になれ」というお話でした。友人は覚えてないと言いますが、私の脳裏には焼き付いています。高校生くらいから今日まで「薫る人間」になろうと思って生きてきました。「薫る人間」ってどんな人間だろうと未だに考えていますが、最近、使命感に基づくものではないかということを気配として感じています。「薫る人間」の本当の意味を見つけだして、私も薫り高い、私の周りに来たら何だかほっとするようなものを醸し出せる人間になりたいと思っております。

 私も学校を経営しています。学園に降りかかっている問題は私の問題としても降りかかっております。子供達が少なくなり大変な時代です。私は今、中学校の宗教の授業を担当しています。この授業では仏教の話をします。そして、世界の三大宗教の話もします。でも、その中で一番楽しいのがキリスト教の話なんです。ついつい力が入ってしまいます。私がお世話になった頃の学園を今でも忘れず大好きでいます。

出来田 私も高校から新島学園に入学しましたが、自由な校風と英語教育が中心であることで有名でしたので、面白そうだなと思って入学しました。

 私にとって一番印象に残っているのが、「君たちは自由をモットーとする精神を履き違えておる!」という校長先生の言葉です。高校生という年代にとっては、自由であるということが尊いことなのです。学園のあの自由な感じが私は非常に好きでした。実は私の姪は小学生のときに母親を亡くしまして、これから家庭を持って子供を育てていくときに、私が経験した学園の優しさ、温かさというのは他の学校にはないものだと感じておりましたので、この子に備えさせてあげたいと思いました。幼くして母親を亡くした寂しさからこの子を救ってくれるのは学園の自由な温かさだろうなと思い、入学させました。彼女もあの自由な雰囲気が好きなようでした。

 私が学園のキリスト教教育で、ありがたいなと思うのは、いざというときに神の意志に任せることを教えていただいたということです。私は今、新国立劇場の仕事をしており、世界的に有名なスカラ座などで歌っているようなソプラノ歌手が来日した折、シングルキャストであったために、この人に何かあったら私が代役を務めることになっていました。カバーの役は、本来の音楽稽古や演出家指導などに比べると格段に少ないのです。一ヶ月間拘束されますが、ただ待っているだけということが殆どなのです。しかし、偶然にも、最終日に本役の歌手の方が風邪で歌えなくなり、普通なら準備不足のまま大勢の前で歌うのは凄く怖いと思いますが、そんなときに自分の中で「神様に任せればいい」と思うことができました。当日の朝、公演三時間前に連絡があるような状況でしたが、ミスなくこなすことができました。怖かったのですが、自分の力ではどうすることも出来ないので、自分よりも大きなものに預けるしかない。あとは皆さんに助けていただくしかないとふっと思えました。そしたら、共演者や合唱団の方が、後ろから小さい声で教えてくださいました。いざとなると「神様に預ければ大丈夫なんだ。自分を信用しようとするから間違える。でも、神様を信用すれば大丈夫だ。」という気持ちを養っていただいた気がします。毎朝、聖書朗読を聞かせていただいて、私の脳裏のどこかに残っていたのだと思います。

2、新島学園のこれから

松本 これからの新島学園が単なる学校ではなく、先達たちが思い描いた志を達意する場としての学園をどうするか、どう生徒たちを教育して行けるか、ご意見をお願いいたします。

田村 学園のすばらしさはわかりました。これからは、精神教育や道徳教育を特に実行してほしいと思います。精神的な安定がないと人口が増えることはありません。また、規制緩和による自治体の役割は終了し、一人ひとりが日本をどう捉えるかなどの教育の必要性を感じます。

大久保 各時代の教育のあり方は、その時代の状況を見据える必要があります。我々の時代の教育と今の教育とは、情報源の多様化と情報の受け取り方が最も違う点です。戦後、様々な教育方法が実践されました。しかし、その時代にあった教育であったかというと必ずしもそうではありません。特にここ数年来は、大学受験と関連して細切れ知識の詰め込み教育が行われているようです。これではだめです。

 教育には基本的に二つの大きな目的があると思います。それは、人類がこれまで大切にしてきた心を伝えること、そして情報を活用する術を教えることです。ベストな方法については様々な教育機関で研究されています。学園もその成果を謙虚な態度で検討する必要があります。またカリキュラムは国で指定されていましたが、今はある程度自由が認められ、各学校で工夫をすることができるようになりました。しかし、これは学校が、次世代に対して大きな責任を負うことでもあります。だからこそ学園内で真剣になって検討する必要があります。そして、情報の受け取り方についても研究をし、学園はこういう方法で教育をするんだと、強く打ち出してください。学園で学んだ知識や培った姿勢、考え方は身について離れることはありません。生徒は一様ではなく、さまざまな個性を持っています。我々は日々自己反省をし、また人からの批判も受けながら、教育の改革を行わなければなりません。校長は、生徒を育てるために何をするのかを明確にすることが重要であると思います。

松井 学園に対して三つの提案がございます。まず一つ目は、学園の理事長、校長、教頭に対するものです。理事長・校長・教頭は今学園にとって何が重要であるかを見極めながら、長期的、先見的、多角的な視野に立って経営をしていただきたいと思います。そして組織機能の強化です。教育の基本は、教師との信頼関係が一番必要であり、また大事にするべきことです。更に、複眼を持った教育を目指していただきたいと思います。一つは学校側に立って物を見てもらうこと、もう一つは保護者・生徒の立場に立って物を見てもらうことです。

 二つ目の提案は教師に対してであります。教師相互が切磋琢磨して、より優れた発想と時代感覚を持てるように、常に意識の啓発を図っていただきたいと思います。教師が、教育五原則をよく理解し、教師としての誇りと自信、熱意、情熱を是非前面に出していただき、推薦による文化系大学への入学ばかりでなく、一般入試により理工系大学進学もできるような授業・教育を期待します。学園は、地元の地域行政、経済界、教育界からも大きな期待、注目をされていますので、今こそ、創立当時の真摯な精神に立ち返り、またキリスト教精神教育を最大限に発揮して、地域に根ざした学園、学園で学んでよかった、学園で学ばせてよかったと感謝されるような学園になることを期待しています。

 三つ目は学園全体に対しての提案です。保護者へのメッセージがなかなかうまく伝わっていないと思います。四月から新しい英語教育を実施するために、先生方が研修に励んでいらっしゃいます。せっかく努力をされているのですから、保護者や生徒に対してその理解が深まるよう、よろしくお願いいたします。

藤口 一九九三年にJリーグは、より新しいスポーツ文化の振興を謳い設立されました。スポーツの改革という面からです。アメリカですと、スポーツで活躍した人は世の中での地位は高く見られますが、日本では残念ながらそうではありません。これは選手自身の問題であると思いますが、世の中のスポーツをとらえる価値観の違いによるものであるとも思います。その中で、地域に根ざしたスポーツが必要であると訴え続けてきたことが、スポーツ選手の地位の変化にいくらか影響を与えたのではないかと自負しています。

 私は、一九九七年から二〇〇五年までJリーグ事務局にいましたが、そこでは、理念の再考をめざしました。一つ目はチームの強化、レベルアップ、二つ目はスポーツ文化の振興、そして三つ目は国際交流や社会貢献です。特にスポーツ文化の振興は大事で、クラブは理念を掲げないと、目先のことしか考えなくなり、何のために存在しているかわからなくなります。学校経営も同じではないでしょうか。大学入学が一番の目的になっていますが、本当にそれが学校のあるべき姿でしょうか。

 今、私は浦和レッズにおりますが、ここには小野伸二選手がいます。彼はサポーターに対して、とても誠実な態度で対応します。チームに一人このような選手がいると他の選手が真似をします。これが伝統になります。新島学園が良かったという話がありましたが、これは良き先輩がいて、その背中を見て、育ってきたからではないでしょうか。一つひとつは小さなことでもそれが積み重なって、愛される学園に繋がるのではないでしょうか。

 文化を作ることには時間がかかりますが、文化ができると人が育ちます。地域に対してどうはたらきかけるか、掲げる目標に向かってどう取り組むのか、もう一度原点に返ってほしいと思います。

野口 やはりリターン・トゥ・ベース、基本に戻ることが重要だと思います。教育行政のあり方は、基本がなく、しっかりとした子どもを育てようとしているのかと疑問に思うことがあります。しかし新島学園の場合は、宗教教育というバックボーンがあり、これが学園の魅力だと思います。不易流行が大切です。変わらぬ建学の精神の下に育った卒業生が、学校のことを真剣に考えていてくれることは大変恵まれています。今の私学はどう生き残るかが問題で、右へ倣えの精神や小手先の経営では解決できません。学校自体は小さくとも、生きた宗教教育、伝統的な宗教教育をしっかり進めるべきであると思います。そして、建学の精神をしっかりと丁寧に伝えるためには、教員がいかにその気になるかが重要であると考えます。

出来田 在校していた頃から「新島楽園」という名前がありました。入学後は勉強せず遊んでいて、とても楽しく、楽で、ほとんどが推薦で大学へ進学しますので、そこそこ勉強していれば、そこそこの大学に入学できるという意識があったためです。

 私自身は個性を磨いていただいたと思いますが、そうでない生徒もいたと思います。今は特に個性を生かせる教育が薄れてきた、保護者から見て、この学校に行かせたいという魅力は薄れてきたのではないかと思います。でも、それは大学受験実績だけではないと思います。魅力的だと思える人は、まず心構えが違うと思います。家庭での育ち方かもしれませんし、学校時代の恩師の影響かもしれませんので、受験ばかりが学校の目的ではないと思います。

 また、私たちの時代には、新島学園といえば「英語」というイメージがありましたが、果たして今の学園にそれが当てはまるか疑問に思います。英語の授業はあっても、それを使いこなすことができないのでは意味がないと思いますので、使える英語を身に付けさせるような教育をお願いしたいと思います。

松本 今日は創立以来六十年のうち、前半期の卒業生にご意見を伺いました。創立当初の教師は、生徒と一緒に人間として付き合っていくなかで情熱をもって接してこられたと思います。殆どがもともと地元にいた先生ではありませんでしたから、ある意味では我々はこのような先生方に接することができ幸せでした。

 そして今、当時の新島精神の発信が同じようにできるのかどうか、人間を一人ひとり作っていくことをどのようにしていくのか、検討すべきときにあります。学園は地域に根ざした学校です。学業優秀な生徒、芸術系の生徒など様々な個性を持った生徒が入学します。若いときの六年間をお預かりしているのですから、生徒にどのような個性があるのかを見つける努力をすることが、学校としての最低条件ではないかと思います。そして、草創期に考えたことをどう今の時代に合わせるのか考える必要もあります。

 今、日本では以前より生徒の数が減りました。その中でどのような教育をし、教育とは何であるかを考える必要があり、そのバランスが重要であると思います。

大久保 学園はソフトボールで有名であり、優秀な教員がおります。専門が違っても、そういう人の教育を学び、自分の領域にどう生かせるか考える必要があると思います。また、自分の学校の良い点を見つけて生かすことが、その学校の特色を出し、学校を伸ばす一番良い方法だと思います。教員相互が良いところを認め、引き出していこうという姿勢を出すべきであると考えます。

松本 新島学園に入学すると自由にのびのびと才能を伸ばしてくれるのではという思いを持って入学させる親がいます。その思いに応えるためにも、生徒の個性を伸ばすんだ、教員である自分を超えていけるだけの人間を作ろうという意欲、意思を持たないで、そこそこの大学に推薦で入学すればと教員が妥協してしまうと、生徒を殺すことと同じになってしまう危険があります。

藤井 新島学園に対しては、既成の枠にとらわれない自由な気風を感じてきました。学校に対しても、また個人的に知っている卒業生に対してもそうです。それだけに期待も大きい。

 どの社会でも共通することですが、良い結果が出ないからといってすぐに別の方法に手を出すようなことを繰り返すと、基にあった本質的な精神が薄れてしまいます。学園でいえば、新島文化研究所が「基にあった精神」を表しているように感じます。『安中教会史』『アメリカン・ボード宣教師文書‐上州を中心として‐』はとてもよい研究をされた本です。学校運営とは直接関わりのないように見えますが、こうした研究活動もまた学園の建学の精神、志を体現しているのではないかと思います。学園としてぜひ持続していってほしい部分です。

藤口 そのほかに、自分の子どもがどのような教育を受けているかを保護者がどれほど理解しているかも大事です。サッカークラブでも、どのような考えをもって、どう指導しているか、まず理解をしていただかないと、指導者と親にギャップが出てしまい、問題になります。意外とその点がおろそかになりがちです。保護者に学園がどう教育しているかを理解させることも大事であると思います。

松本 保護者とのコミュニケーションについては、確かに欠けていた部分があると思います。また、挨拶など社会生活における基本的な面に関する教育からブラッシュアップしたいと思います。

湯浅 本日は、多方面でご活躍されている皆さんにお集まりいただき、ありがとうございました。創立以来六十年、新島学園は全人教育を施してきました。これからもそれを磨きなおし、関係者が協力して、努めて行きたいと考えます。本日は貴重なご意見をありがとうございました。

キリスト教学校教育 2006年6月号2~4面