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一般社団法人キリスト教学校教育同盟 Association of Christian Schools in Japan Since 1910

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キリスト教学校教育バックナンバー

キリスト教Q&A

祈り

魚屋 義明

 「人間は祈る動物である」と言われるように、誰もが生まれながらに「祈る心」を持っています。実際に多くの人々が漠然と幸い・願いを祈り、危機や困難に見舞われた時には特に熱心に祈りに向かいます。世界中のどこにでも「祈り」を見出すことができます。

 今回は様々な祈りがある中で、「キリスト教の祈り」はどのようなものなのかについて考えてみたいと思います。

Q1 キリスト教の祈りの特徴は何ですか。

A キリスト教の祈りの本質は神との対話(コミュニケーション)であるということがに自分だけが空回りしているのではなく、神が「相手」として存在するのです。神がまず私たちを祈りに招いてくださいます。その招きに応え神の御心を求め、神の声を聞こうと祈るのです。「祈らないから神がわからないのだ」と言った人がありますが、祈りという対話によって私たちは神との人格的な親しい交わりを経験し、神の臨在を知らされるのです。この祈りは「自己完結」ではありません。自分の願い・要求をぶつけるだけの祈りは、それが叶えられることだけが祈りの目的であり、嘆願が聞かれずご利益がない時には「その神」を捨てることとなります。この場合、「神」は存在せず単なる自己の意志があるだけです。自分の奴隷となってくれる「神」に願いを押し付けるといった祈りは、神不在の「自己完結」の祈りであり、これはキリスト教の祈りではありません。勿論、危機に際して祈る、願いを祈るということはありますが、自分の思いを押し付けるのではなく神のみ心を尋ね求めるのです。祈りは自分の願いをかなえるための手段ではなく、神との親しい交わりなのです。

Q2 私たちは神の語りかけをどのようにして聞くのですか。

A 私は「耳元で神の声が実際に聞こえた」という経験がありません。「神の声が聞こえることなどはあり得ない」と否定はできませんが、私たちは何よりも聖書を読むことを通して神の語りかけを聞きます。聖書は「神の言」です。聖書のみ言葉を通して私たちの心に神の語りかけが響くのです。ですから、祈る時には、聖書を読むことが肝心なのだと思います。「祈ること」と「聖書を読むこと」は切り離すことができません。ただ、他にも神は様々な仕方で私たちに語りかけておられるのも事実です。現実の出来事や周囲の人々を通して、その御心(祈りに対する応答)を示してくださる事もあります。心からなる祈りを捧げ、静かに神の語りかけを聞こうとする姿勢が何よりも大切なのだと思います。

Q3 キリスト教の祈りでは終わりに「イエス=キリストのみ名によって」と言いますが、その理由は何ですか。

A 「イエス=キリストのみ名によって」はキリスト教の祈りにとって決定的な言葉であるということができます。祈りは神と人間の対話ですが、私たちが語りかける先に、神の側からイエス=キリストによって私たちを招いてくださいました。本来、人間は罪の故に神との断絶の中にあり、神に親しく呼びかけ祈ることはできません。神はイエス=キリストをこの世にお送りくださり、キリストの十字架によって人間の罪を赦してくださいました。つまり、イエス=キリストが神と人間の間に立って執り成してくださり、神との関係が回復されたのです。このイエス=キリストの贖いの執り成しがあるからこそ、罪ある人間が神に親しく「父よ」と呼びかけ祈ることができます。イエス=キリストの十字架の犠牲によって「断絶」は「交わり」に変えられたのです。また、この言葉によって私たちが誰に祈っているのかがはっきりします。実体のないわけの分からない者に祈っているのではありません。イエス=キリストによってご自身をはっきりとお示しくださった神に祈っているのです。この神が私たちの祈りに応え、み力をもって私たちに働き、私たちを導いてくださるのです。

Q4 祈りの最後に唱和する「アーメン」の意味は何ですか。

A 「アーメン」はヘブライ語で「まことに」「確かに」「真実に」という意味を持っています。ユダヤ人は会話の中で確信を表すときにこの言葉を用いたり儀式において唱えたりしました。イエス=キリストは教えを語るのに「アーメン」=「はっきり言っておく~」「まことに~」で語りだされました。この言葉がキリスト教の初代教会で祈りの最後に用いられるようになりました。礼拝・祈りを共にする共同体に属し共に神との交わりに与っていることを表すために、祈りの最後に「アーメン」と唱和し祈りが公同のものであることを宣言します。また、祈りが心からなるものであることを表します。

〈女子学院中学校・高等学校聖書科教諭〉

キリスト教学校教育 2007年3月号8面